啖呵売り

はい。今日は全く脈絡もない、啖呵売りの文句についてです。

 

 まあ、動機は置いて措いて、有名な「男はつらいよ」シリーズに出てくる

結構毛だらけ猫灰だらけ・・・

から始まる一連の啖呵。いや、それにつけても車寅次郎を演じる渥美清さんのあの名演。うさん臭くも人間臭い寅さんのあたたかな雰囲気を出せる俳優はもう居ないのでしょう。誰がやっても劣化する気がします。

 

 それはさておき、啖呵というのは一つの立派な芸、つまるところ芸術のひとつだと考えています。今のラップに当たるのでしょうが、目指す方向性がダンチかと。

閑話休題、この啖呵中の「結構」の意味、人によって解釈が異なるような気がします。

 

 つまり、「結構」を”No,Thank you”、「いいえ、結構です。」の意味に捉えるか

”Great”、「結構なお手前です。」の意味で捉えるか、ということです。

 

 私個人としては、品を並べて物を売るときに「いいえ、結構です。」から始めるのは変だと思うのですが逆に、「そこのお嬢さん、『いいえ、結構、結構』と言うのも構いませんが。」という茶化しと捉えるならばむしろ「No,Thank you」なのかも しれないですね。

 

 それともやはり、「結構なことじゃありゃせんか。猫は灰だらけ、尻の周りはクソだらけ・・・」と茶化しながら進んでいくのか・・・

 

 どちらの意味だとしても、まあ引き付けられる文句ではありますよね。上手な啖呵なら品が多少怪しくても、見物料金も含めて買っていこうという気にもなるもんです。

 

 コンプライアンスだ、ビジネスだ。今の尺度でいえばれっきとした犯罪でしょうが、そういう下らん規則通りに縛られて「礼節を大事にしつつも遊び心を出す。」良さが半減しているような気もします。

 

むろん、詐欺を助長させる意味ではありません。昔は、テキヤしかり啖呵売りしかり「騙された奴が悪い」とまでは行きませんが、道行く人を殴れば殴り返される。八百屋、魚屋で品を選ぶ時も店の主人と相談しながら「自分で」目利きをする。そうして、日常の中におのずと「責任」と「危険予知」に対する訓練ができていたように思われます。今では、若者が冷蔵庫に入って動画を衆目に晒したり、周りの動きに合わせて「とりあえず」行動したり、少し考えればわかりそうな予想もできない未熟な大人が多い気がします。

 

 いや、それだけ社会が平和になったということでしょうか。あるいは、「嫌いな上司のお茶にツバや雑巾のしぼり汁を入れ・・・」なんて話のようにバレなかったものがカメラや情報媒体ですぐに明るみに、それも世界中に広がってしまうという、という環境の変化もありそうです。

 

 とどのつまり、いかにハイテク、デジタル、情報化と言えど、享受する人間は相も変わらず進歩しない、といったところでしょうか。そこを割り切って「人間らしく」あろうとする人が減っているような気がします。